「198C年」(2003年1月)

「(*゚ー゚) (゚;;-゚) しぃネタ総合スレPart13 ミ゚ー゚*ミ (゚ー゚*)」(AAゴミ箱板、2003/1/22-)より、真面目なのかネタなのか判断に迷う書き込み。

909 名前:198C年 投稿日:03/01/30 20:22 ID:???

『198C年』 ~ある歴史的考察~


             '''"    ,,,
,,      ",  '''   ∧∧           " Oranges and lemons, say the bells of St Clement's,
    ∧∧ "     (,,゚ー゚) ハ,,ハ  ''       You owe me three farthings, say the bells of St Martin's,
   (*゚ー゚)  ,,.  @,u__っ(・o・,,),,)~       When will you pay me? say the bells of Old Bailey,
    ノ  |            "          When I grow rich, say the bells of Shoreditch. "
 ~O_UUつ  ,,     ∧∧ '' )  ",.,
  "    ,.,,   '' ⊂(゚ー゚⊂⌒`つ
    ,,.


 遠い昔。
 しぃは、マスコットキャラクターであった。
 しぃをかわいいと思う人が、素直に「かわいい」と言ったり、
 素朴なしぃのAAを描く。
 今では信じられないが、そんなことも可能であった。



910 名前:198C年 投稿日:03/01/30 20:22 ID:???

 しかし、いつの頃からか。
 この世界の人口が増えるにつれ、弱者を虐待・虐殺することで
 人心を惑わし、マターリを愛する人々が悲鳴をあげて逃げ惑う光景に
 楽しみを見出す不届者、「虐殺厨」と呼ばれる人々が出現した。

 当初は虐殺厨に反発していた住民も、虐殺厨による容赦ないスレ潰し、
 コピペ攻撃、誹謗中傷と言った圧制に、沈黙せざるを得なくなった。
 虐殺厨に対する反論は、虐殺コピペによる百倍の報復を招き、
 マターリを愛する住人が逃げ込んだスレも、彼等の手で
 ことごとくリディツェやカティンの森にも匹敵する惨劇の場へと変貌させられた。



911 名前:198C年 投稿日:03/01/30 20:23 ID:???
 やがて虐殺厨は、そのAAの破壊的影響力を「技術」と詐称し、
 まるで自分達が最初からAAの本流であったかのように振舞った。
 単にショッキングであるから注目されているに過ぎないものを、
 「マターリより優れているから広まるのだ」と理由づけして自己を正当化した。
 
 こうして、一種のAA優生学思想が誕生した。
 彼等のプロパガンダに踊らされて、この世界には
 「ネタ至上主義」「職人至上主義」がはびこった。

 かわいいものを愛でるという、ただそれだけの素朴な感情でも
 成立しえた世界は、いつしか虐殺厨の手で捻じ曲げられ、
 「職人が腕を競い合う永遠の闘技場」へと変えられて行った。
 この世界を統べる人々も、もはや世論の流れに歩調を合わせる以外に
 術を持たなかった。



912 名前:198C年 投稿日:03/01/30 20:23 ID:???
 時は流れ、この世界の人口はさらなる激増を見た。
 それにもかかわらず、しぃのまともなAAは逆に激減した。
 人口増に比例するかのように、虐殺・虐待や、
 「コウビ」などの人格攻撃系AA(キャラそのもののイメージを貶めるAA)が
 激増する一方で、しぃのマターリAAはほぼ絶滅状態に陥るという、
 統計学上明らかな有為性を持つ状態が現出した。

 虐殺厨は「マターリは2ちゃんねる向きじゃなかった」
 「しぃは虐殺の中でこそ生きる」などとうそぶく。
 また、平和AA板での活動が停滞気味になっているのを見て、
 「ほらみろ、マターリ厨はネタもロクに出せないくせに」
 などとせせら笑う。

 だが、虐殺厨は、いくつかの点を故意に無視している。
 例えばMegaBBSなどでは、しぃやちびギコが
 マターリしている新作AAが、虐殺AAほどではないにせよ
 それなりのペースで登場している。

 いずれにせよ虐殺厨は、「作品」の量の差を質の差と混同している。
 量の差をもってマターリを時代錯誤、過去の産物と決め付ける虐殺厨は、
 自分自身が時代遅れのフォーディズム
 (T型フォードに代表されるような大量生産・大量消費志向)に
 囚われていることに気付いていない。


913 名前:198C年 投稿日:03/01/30 20:23 ID:???

 また、「悪いのはコピペ珍だ」と責任回避を図る者もいるが、
 彼等に途切れることなく武器を提供している「死の商人」は、
 紛れもない虐殺厨たちなのだ。
 むしろ、虐殺による他者への嫌がらせを楽しみながら、
 自分はさもコピペ珍の被害者であるかのように振舞っている彼等こそ、
 真に責任を問われるべき存在なのかもしれない。




914 名前:198C年 投稿日:03/01/30 20:24 ID:???

 総合スレでは、
 「自分たちはあらゆるネタにスレを開放している。
  悔しかったら論争ではなくAAで勝負しろ、ネタで勝負しろ」
 と虐殺厨はうそぶく。

 しかし、それは巧妙な罠にすぎない。
 表現の激しさという観点で見れば、マターリは虐殺には決して勝てない。
 従って、マターリネタと虐殺ネタが同数あれば、スレ全体の印象は虐殺に傾く。
 ましてや、ひとつのマターリに対して10の虐殺が対抗し、
 100の虐殺派による煽り・叩きが襲いかかり、最後に元のマターリも
 コピペ改造で潰されるような現状では、比較にすらならない。

 その結果、スレを見ている人々に対して、一種のアナウンスメント効果が働く。
 「しぃは虐殺ネタ専用キャラだ」「穏やかほのぼのしぃなんて存在しない」
 というイメージが、観客の間でバンドワゴン現象を引き起こしながら流布していく。

 そんな状況の中で、虐殺厨がいくら「言論の自由」「スレの開放」を口にしても、
 その言葉は映画『ダーティハリー』の悪役「さそり」の台詞と
 同じ程度の重みしかない。
 「オレにだって、人権があるんだ!」
 他人の言論を封殺し尽くした後で自分の言論権利を声高に叫ぶ彼等は、
 他人の命を奪っておいて自分の命の権利は主張する「さそり」と、
 なんと似ていることだろう。


915 名前:198C年 投稿日:03/01/30 20:24 ID:???
 結局のところ、虐殺隆盛に見える現状は、虐殺厨による世論操作の産物であり、
 逆に言えば彼等が世論操作し得る範囲内でしか、存在できない代物なのだ。
 現に、AA系の板を(さらには2ちゃんねるも)一歩離れて、外部を見てみればよい。
 「しぃ」は今なお、普通に「かわいい系キャラ」として認知されている。
 「だっこ♪」も肯定的なイメージとして残っている。
 もし「被虐しぃ」が普遍的なら、昨年の有名なフラッシュムービー「しぃのうた」が
 登場したときに、AA系板以外や2ちゃんねる以外でも、ムービー自体に対する
 (つまり「マンセーばっかりウゼー」以外の部分で)より多くの拒否反応が起こっていたはずだ。

 2ちゃんねる以外で、虐殺厨が同様のハイジャックに成功したところといえば、
 「したらば」が挙げられる。
 ここもまた、2ちゃんねる同様に不特定多数の書き込みを許容する
 掲示板であり、管理者は基本的に内容にはノータッチである。
 だからこそ、虐殺厨は「したらば」にもカビの如くに繁殖していった。
 むしろ、2ちゃんねるに対して「陰」の存在である分だけ、
 そこに集う描き手の陰湿性、日の当る存在に対する
 一種のルサンチマンはより強かったと言えるかもしれない。
 今日の虐殺表現の多くがそのルーツを「したらば」に負っているのも、
 故なきことではないのである。

 逆に言えば、ちゃんと管理が行き届いた掲示板では、
 どんな執拗な嫌がらせも即座に削除対象となりうるため、
 虐殺厨は有効な世論操作を実行できず、生き長らえることは
 できないのである。


916 名前:198C年 投稿日:03/01/30 20:24 ID:???

 もっとも、虐殺厨は精神的・道徳的には甚だ問題があっても、
 決して愚か者ばかりではない。中には妙にずる賢い者もいる。
 彼等は自らの生態、つまり無法が許されるところでしか
 自分達は生きられないという事実を知っているので、
 逆にマターリを愛する人々に対して、
 「そんなに虐殺がイヤなら安全な個人掲示板に引きこもってろ」
 と言い放つ。
 不特定多数に開かれた場をさんざん荒らしまくった末に、
 もともとその場を形成してきた人々を逆に追放しようというわけである。
 盗人猛々しいと言う他はないが、2ちゃんねるで現実にマターリが存続し得ないという
 悲しい現実から、この選択肢を取ってMegaBBSや平和版に
 逃げ込まざるを得ない人々がいるのもまた事実である。




917 名前:198C年 投稿日:03/01/30 20:25 ID:???

 さて、ここまで見ていくと、虐殺厨の行動パターンとそれに対する
 第二次大戦前夜におけるアドルフ・ヒトラーの外交行動に
 よく似たものであることが、容易に見て取れる。
 ラインラント、オーストリア、ズテーテンラント……相次ぐナチスの侵略に対し、
 欧州の周辺諸国はズテーテン危機のチェンバレン英首相に代表される
 「宥和政策」で対応した。ヒトラーの領土要求に屈したのである。
 ヒトラーはその都度「これで最後」「これ以上は要求しない」と繰り返したが、
 その結果がどうなったかは、チャーチルの演説を引くまでもなく
 周知のところであろう。結局はヨーロッパ全土を巻き込んで
 数千万人の死者を出す大戦争になったのである。

 今日、我々が虐殺厨に屈して、このスレを明け渡したらどうなるか。
 そこに待つのは平和ではない。彼等と共存はできない。
 彼等がスレに居付いたが最後、マターリと共存すると見せかけて、
 最後にはマターリを完全に駆逐してしまうのである。
 そして、彼等の侵略は別のスレ、別の板、別のサイトへと向かう。
 次のズテーテンラント、次のポーランド、次の低地諸国を向いて、
 虐殺厨は舌なめずりしている。



918 名前:198C年 投稿日:03/01/30 20:25 ID:???

 彼等はマターリを外部個人板に隔離しようとするが、それを
 マターリの安住の地と考えてはならない。もしそう考えているとしたら、
 諸君は虐殺厨の世論操作に見事に乗せられていることになる。
 それはマターリのゲットーであり、2ちゃんねるという大地を
 追われたマターリがやがて消滅するよう、虐殺厨に巧妙に仕向けられているのだ。

 日本でもっとも有名な掲示板サイト、不特定多数の人間がまず最初に
 「AAの総本山」として考える2ちゃんねるのAA系の板から、
 マターリを絶滅する。これにより、しぃがかつてごく普通の
 マスコット的キャラクターであたことを知る者は、年を追うに連れて減少する。
 代わって、「ダッコ」「コウビ」「シィィィィィィィ」が、大多数にとっての
 しぃのイメージとなるのだ。虐殺厨の思惑通りに。
 2ちゃんねるに描かれたしぃと、個人板に描かれたしぃを比べた場合、
 どちらが世論により大きな影響力を持つかは、改めて説明するまでもあるまい。



919 名前:198C年 投稿日:03/01/30 20:25 ID:???

 それは大衆の記憶の操作であり、過去を支配するものは
 現在までも支配するという、かのジョージ・オーウェルの描く
 「偉大な兄弟」の方法論である。
 これはまた、ソ連憲法における「信教の自由」の規定にも似ている。
 同憲法では「信教の自由」と「反宗教宣伝の自由」が認められている。
 宗教は生きている者の個々の内面に留めておけ、但し布教はするな、
 次の世代はもっぱら反宗教宣伝のみを見聞きして育った
 完全な「ソヴィエト人間」の世代になるだろう、というわけである。
 荒らしやコピペで完全にマターリを駆逐し、新たに2ちゃんねる
 やってくる者は、そこにただ「虐殺」「殺伐」という名の
 虐殺ソヴィエトの地を見るのみ。

 ソヴィエト・ロシアは潰えたが、虐殺ソヴィエトがどうなるのか、
 それは神のみぞ知るところであろう。



 最後に、虐殺厨の真意を代弁するなら、概ねこんなところだろうか。
 「 虐殺は平和である       " Massacre is Peace.
   自由は観客である        Freedom is Gallery.
   無力は力である 」        Powerlessness is Strength. "

 もちろん元ネタはジョージ・オーウェルの『1984年』。
 SF小説・政治小説の傑作である。
 新潮文庫で邦訳が出ているので、一度読むことをお勧めする。
 虐殺厨の世論操作の手口を知る上でも、何かと参考になるだろう。



920 名前:198C年 投稿日:03/01/30 20:25 ID:???

         :
         :
    未来あるいは過去へ、
      AAの自由な時代、
      または掲示板参加者が各自の個性を持ちながら、殺伐でない時代へ ――
      真実が存在して虐殺荒らしがきかない時代へ。
    画一の時代から、虐殺の時代から、"偉大な職人"の時代から、
      マ虐二重基準の時代から ―― 挨拶を送る!